歩んだ道・前編
【NHKのファミリーヒストリー】は、長く続いている番組だ。2013年10月に放送された内容(今田耕司~南陽パラオ 運命を変えた手違い~)から抜粋した。
「今田耕司は最近、母がパラオからの引き揚げてきた事実を知った。なぜパラオに渡ったのか。取材で新事実が次々に明らかになる。祖父は、パラオで郵便局員として働いていた。戦争が激化する中で、日本への引き揚げ船に乗る。そこで起きたある手違いで運命が大きく変わる。さらに、これまで分からなかった父方のルーツが判明。そこには、今田家と東京・浅草との意外な関係があった。初めて知る事実に今田は驚きの声をあげる。」
■NHKのようなわけにはいかないが、我がルーツも探って自分がどう生かされてきたのかを明らかにしたいと思う。そして、孫たちにも歴史が伝わると嬉しいが…。
【生まれ育った場所】
樫見町は、昭和29年に金沢市に編入されたが、当時は石川郡犀川村字樫見である。兼六園からは車で20分、距離は12キロ程。戸数は8軒、山の斜面の小さな棚田でお米を作り、薪やタケノコなど山菜を売り、また炭焼きで現金収入を得ていた。古くは石切り場があり、かまど用の石を切り出していた。子供のころには、探検のつもりで洞穴に入ったことがあった。
昭和40年頃には、燃料革命により炭焼きができなくなり、シイタケ栽培に転換した。また国の施策で造林事業が行われ、スギなどの植林で生計を立てるようになった。
【家族】
祖父は村役場で働き、戦時中は犀川村の村長を務めたと聞いた。いつもニコニコと妹を背中に負ぶって子守をし、家の周りの草取りをしている記憶がある。一方、母には厳しく接していた面もあった。祖母の思い出としては、畑仕事と田植え時に草餅を作って食べさせてくれたことがある。荒井家は三代女系が続き、父は同じ村の毎田家から婿養子になった。国鉄に勤務し、満州鉄道に赴任していたというが、当時の話を聞かされたことはなかった。母は、戦死した兄と二人兄弟だった。女学校を卒業してから結婚するまで小学校の先生をしていた。
私こと、本堂敬二は昭和25年生まれ、兄と下に弟と妹がいる4人兄弟の次男である。
【父と母】
父は、同じ町の毎田家の七男として生まれた。母よりは7つ年上で、結婚する前は国鉄に勤務し、終戦まで満州にいた。小学校の2年くらいまでは炭焼きをしていた記憶がある。その後、シイタケ栽培を始め、その傍ら造林事業に携わっていた。冬には長兄の鮮魚店の手伝いをし、冬季分校の臨時教員をした時期もあったと聞いた。お酒は熱燗で晩酌をするのが日課で、酔うと「北国の春」を歌うこともあった。
母は、荒井栄吉・いとの長女として生まれた。13歳年上の兄がいたが、昭和12年に日中戦争(支那事変)のさなか中国で戦死した。祖父が教育熱心だったため、小学校は地元の学校でなく、下宿して金沢市内の菊川尋常小学校へ通っていた。金城女学校を卒業してから結婚するまでは、小学校の先生をしていた。(樫見分校で冬季の臨時教員を務めた時期もあった。)
また犀川地区婦人会の会長を長く務め、(その縁で私は婿入りすることになるのだが…。)学童クラブ「やまびこ」を創立し、子供たちの健全育成や地域の社会活動に貢献した。学生時代はバレーボールに熱中したというとおり、性格は活発で、多くの人と交流があり、保険会社の外交員としても働いた。そして服装もおしゃれで、いつも若々しく、山の人とは思えないと周りから羨まれていた。自慢の母であった。
【子供の遊び】
学校から帰ると、どこそこの田んぼにいるから、「手伝いに来て!」「窯のご飯を炊いて!」など黒板に指示が書かれていた。何もないときは、近所の仲間と手作りの刀まがいのもので「チャンバラ」をしたり、雑木林の中で小屋を作ったり、また冬は竹スキーで滑り、「カマクラ」を作ったり、卓球・メンコ遊び・押しくら万頭もした。
【小学校時代】
1年生から4年生までは、分校で学んだ。1年と2年は複式学級で先生は一人、言ってみれば同時に上の学年の勉強も聞いていたことになる。同級生は6人であった。学校には図書室らしきものもあるにはあったが、僅かな数しかない。でも童話や戦国武将の物語などをむさぼり読んだ。
5年生になるとようやく本校へ通うことになる。2クラスで同級生が60人に増えた。朝6時半には家を出て、4キロの道を1時間かけて歩いた。冬は積雪が多く道が塞がれるので、寄宿舎に入った。二段ベッドで寝起きし、いつもより食事が豊かになったせいか顔がふっくらと太った子が目立った。土曜には家に戻り、月曜には戻ってくるという生活だった。
【中学校】
野球部に入部した。もともと生徒数が少ない学校なので、1年生からでも試合に出してもらえた。3年の時には、遠い駒帰分校からバスで練習に通う3人の生徒がいた。勉強はもともと嫌いでなかったが、寄宿舎の中は大勢なので落ち着いてできなくて、皆が寝ている朝の早いときに起きだして、受験勉強に励んだ。得意科目は特になかった。